印度之行
中野孝次
翻譯? 王志鎬
去印度去作了近一個月的旅行。為了查探明恒河的起源甘戈特里山冰川,我們組成了十二人的徒步登山隊,一個緊挨著一個在山間行走。從利西凱西到仙境般的甘戈特里山,在連綿不斷的三百公里的大溪谷中旅行,可真夠我這個五十五歲老漢受的,不管怎樣平安地回來了。不過將惡性痢疾當作禮物帶了回來,已經(jīng)有兩個多星期了,至今還是迷迷糊糊的狀態(tài)。
ひと月(つき)ほどインドへ行ってきた。ガンジスの源流(げんりゅう)ガンゴトリ氷河(ひょうが)を究(きわ)めようという、十二人編成(へいせい)のトレッキング隊にくっついて山歩きだった。リシケシから秘境(ひきょう)ガンゴトリまで、延々三百キロの大渓谷(だいけいこく)の旅は五十五歳の身には堪(こた)えたが、何とか無事帰ってきた。悪質(zhì)(あくしつ)な下?。à菠辏─蛲廉b(みやげ)に戻(もど)って二週間あまり、まだぼうっとしている現(xiàn)狀(げんじょう)である。
總之,我被那出奇宏大的印象鎮(zhèn)住了。四十度的熱風(fēng)吹進了顛簸的大巴,駛啊駛啊,景色卻一成不變。點點低矮的樹木豎立著,耕地也好荒地也好,原野上到處是無盡的紅土。眺望地平線,任何方向任何地方都一望無際。在這毫無人氣的灼熱的大地上,孤零零地,一位身穿紅色麗莎服,頭頂碩大的草捆,身體挺得筆直地走著。仰或在干枯的茶褐色土丘邊,在有四根立柱,房頂上面葺著稲草的遮陽小屋里,放著一張用棕櫚編織而成的床,一個男人正悠然自得地做著白日夢。周圍有羊群在貧瘠的草地上尋食走動。我被困在這大巴里,眼睛迷茫,腦袋膨脹,似乎不省人事了,向窗外一瞥,一瞬間所見到的風(fēng)景,就像什么重大的事情那樣給我留下印象,其意義我至今尚未明白,但它給我的印象卻銘刻在心,揮之不去。
ともかく途方もない広大(こうだい)さの印象に圧倒(あっとう)された。四十度の熱風(fēng)(ねっぽう)が吹き込むバスに揺られて、行けども行けども景色が変わらない。點々と低(ひく)い大樹(たいじゅ)の立つ、耕地(こうち)とも荒蕪地(こうぶち)ともつかぬ赤味(あかみ)を?。à─婴吭埃à菠螭洌─?、地平線(ちへいせん)を覗(のぞ)かせながらどこまでもどこまでも続いている。その灼熱(しゃくねつ)の人気もない大地(だいち)にぽつんと、大きな草の束(たば)を頭に載(の)せた赤いサリーの農(nóng)婦(のうふ)が、身をまっすぐ支(ささ)えて歩いてゆく。あるいは、乾(あわ)ききった赤茶けた丘(おか)の、四本(よぼん)柱(ばしら)を立(た)て上(うえ)を草で葺(ふ)いた日よけ小屋に、棕櫚(しゅろ)で編(あ)んだベッド一つ置いて男が悠々と晝寢(ひるね)をしている。その周(まわ)りで羊(ひつじ)が乏(とぼ)しい草をあさって動いている。こっちバスの中にいても目はかすみ脳は膨張(ぼうちょう)して失神(しつしん)しそうだというのに、窓外(そうがい)にちらと見えたそういう一瞬の光景が、何か重大(じゅだい)なもののように印象されるのである。そして意味はわからぬまま今もこころに焼(や)きついて離(はな)れないのだ。
看過了那樣的情景,回到東京,不管我如何在紙上對人生說長道短,都感到無聊透頂。與我生活在一起的伙伴,在途中宿營時,就在路邊放上一張行軍床。大體上過著一種與報紙,收音機,電視機,冰箱,洗衣機等等什么都毫無關(guān)系的生活。更何況在這樣的地方,墻壁上,屋頂上,地板上連空調(diào)什么的都沒有的地方,人們卻還是悠然自得地生活著的事實,給我的印象是幾乎壓倒一切的。
そうな光景を見ると、なんだか東京で紙の上で人生がどうのこうのと考えていたのが、馬鹿(ばか)らしいような気がしてならなかった。路上(ろじょう)に寢(ね)たり、ベッド一つ道端(みちばた)に置いてそこで生活している連中(れんじゅう)は、およそ新聞やラジオやテレビとも、冷蔵庫や洗濯機ともなんの関係もない生き方をしているのである。壁も屋根も床(ゆか)も、もしてやコンセントなどないところで、それでも悠々と人が生きていられるという事実が、ほとんど圧(あっ)するように私に印象された。
這位伙伴到底以什么為生?他仍然在這樣度過一生嗎?——如果這樣考慮的話,我腦袋似乎就變得十分可笑了。身上裹著的只有一塊布,在路旁生起火來,在石頭上烤餅吃,以此為生。日均一個盧比的生活極限,簡樸的生活方式,讓我越看越感到具有威脅。
いったいこの連中はどうやって生きてるんだろう。これもやはりちゃんとした一つの生涯(しょうがい)なのだな。――そんなふうに考え出すと、頭が可笑(おか)しくなってくるようなのた。身に纏(まと)うものといったら布一枚(ぬのいちまい)、路傍(ろぼう)で火(ひ)を起(おこ)して石の上でチャパラィを焼(や)いて食っていきている。日(にち)に二ルピーでいきているというその極限(きょくげん)的に簡素(かんそ)な生き方が見れば見るほど脅威(きょうい)であった。
讓我感到困惑的,不僅僅是貧困,還有那里生存的多樣性,與自然的和諧,以及無論什么也比不上的悠然自得的程度。至今為止,那樣的生活,在我去過的歐洲旅行中,是絕對不曾感受到的。而且稀罕的是,在這些近乎裸露的人們中間,也許從未感覺到有一絲兒的危險。在什么樣的同類中,同樣是在一個人的情況下,會有這樣的安全感呢?
単に貧(まず)しいというだけでなしに、そこにある生の多様性(たようせい)、自然との合致(がっち)、なによりも悠々としたところが、私を混亂(こんらん)させるのである。こんなことは今までョーロッパを旅行したときには絶(た)えて感じなかった。しかもこの裸(はだか)に近い人々の間にもまれていて、およそただの一度でも危険(きけん)を感じたことがなかった。なにか同類の中に、同じその一人としているという安心感のようなものさえあるのである。
唉,盡管那樣,在這樣的情況下的生活還算不錯呢。
這樣想的同時,我又想到了另外一面,戰(zhàn)后三十五年,我們一味追求舒適生活,最后,將生存的直接性喪失了(雖說這是較曖昧的話)。在生活刻板的東京,我有這樣的安排,將自己的生活方式回顧一下,然而至今我尚未擺脫這種搖擺不定。印度真是個不可思議的國家。體驗過一次那樣的生活的人,完全背過身去面向歐洲,從中可以引出怎樣更加深刻的結(jié)論呢?我的預(yù)感是什么也做不了。不管怎樣要從根底上來懷疑文明的概念,對印度有著什么樣的文明作強制的再檢討。
へえ、それにしてもまあこんな具合(ぐあい)でよく生きていられるものだ。
と、思うと同時に、その反対側(cè)では、戦後三十五年ひたすら快適(かいてき)さを追い求め(おいもとめ)てきた末(まつ)に、生の直接性(というのも曖昧(あいま)な言葉だが)を失(うしな)ってしまった、のっぺりした東京での自分らの生き方を思い浮かべるというあんばいなのである。そして今でもわたしはそのぐらつきからぬけ出せないでいる。インドというのは全く不思議な國だ。一度でもあれを體験した人間は、まったく背をそむけてヨーロッパのほうに顔を向けるか、もっと深入(ふかい)りしてあの中から何かの結(jié)論(けつろん)を引き出そうとするか、どっちかしかないような予感がする。ともかく文明の観念を根底(こんてい)から疑(うたが)わしくさせ、再検討(さいけんとう)を迫(せま)る何かがインドにはある。
原野上出現(xiàn)的低矮的茅草屋村落。晚霞映照的村子里,每戶人家的屋前,人們在一起乘涼,對豬和牛的臭氣滿不在乎。孩子們在水井邊洗澡,漂浮著青色泥巴的水塘里,水牛浮在水中,黝黑的皮膚閃閃發(fā)光。屋頂上站著孔雀,遠處的田野里,駱駝還在耕地。一瞬間看見的風(fēng)景,其中有著怎樣的含義,至今還深深地銘刻在我的心上。
原野(げんや)の中に現(xiàn)(あらわ)れた低い草ぶきの村。夕方のその村の家々のまえで、豚(ぶた))や牛(うし)の臭気(しゅうき)も平気(へいき)で人々が一緒に夕涼(すず)みしている。子供らが井戸(いど)のそばで水を浴(あ)びれている。青み泥(あおみどろ)の浮かぶ水溜(みずたま)りに、黒々(くろくろ)と肌(はだえ)を光(ひか)らせて水牛(すいぎゅう)が浮かんでいる。屋根に孔雀(くじゃく)が止まっている。遠くの原(はら)でまだラクダが畑を耕(たがや)している。ちらと見えたそういう光景が、何か意味あるもののように今でも私の中に強(つよ)く焼きついている。
傍晚六點半,日頭在紅色的地平線上落了下去,黑暗開始迅速擴展,到了七點就完全黑了。天一旦變黑,周圍渾然一色,黑壓壓的,什么也看不見。黑暗開始以它那毛骨悚然的氣勢漸漸將這里包裹,不知為什么,感到天地間只有自己被遺棄在這里,使我陷入孤獨的困境。遠處一點點亮光一閃而過,見了十分懷念,似乎期待著它是可以依賴的信號。面對那樣的黑暗,我有著許久不能忘懷的感覺。
夕方(ゆうがた)六時半、日が赤く地平線(ちへいせん)に沈(しず)むと、急速(きゅうそく)に闇(やみ)が広(ひろ)がり始め、七時になるともう真っ暗(まっくら)になった。一度闇になると、辺(あた)りはまさに黒暗暗(こくあんあん))の一色(いっしょく)で、何も見えない。ひたひたと闇の不気味(ぶきみ)さがこっちを包(つつ)み始め、なんだか天地の間自分一人が置き去り(おきさり)にされたような心細(こころぼそ)さがせまってくる。遠(おと)いところにちらとかぼそい明かりが見え、それがひどく懐かしい、頼りになるサインのように思われる。そういう闇というものも、私が久しく忘れていた感觸(かんしょく)であった。
問題是:在把這個印度的世界和歐洲的世界揚棄之前,會有什么樣的可能性,這似乎關(guān)系到正在開始揚棄近代的、當前日本的我們大家的問題,這樣的大問題,身處黑暗之中、處于孤獨之中的我可對付不了。
問題はこのインド的な世界とヨーロッパ的な世界とを止揚(しよう)した先にどんな可能性があるかということで、それが近代を止揚とようとし始めている今の日本の我々の問題にも繋(つな)がるらしかったが、そういう大問題は闇の中で心細(こころぼそ)がっている私の手に余(あま)った。
回到家里,我?guī)еS久未見的狗出去散步,在附近的公園,穿著短褲的中年婦女們在打網(wǎng)球,穿著運動服的孩子們在打壘球,下腹突出的男子在搖搖晃晃地慢跑,從游泳池里傳出少男少女尖銳的喊叫聲。曾見慣了這樣情景的我,卻不能熟視無睹,就像看見了異樣的東西,這樣的事情使我吃驚。為什么對這樣不足為奇的一瞥感到吃驚,我感到疑惑。稍稍考慮之后,認為這些行為與生存的必要性無直接的關(guān)系,我這才明白了自己為什么要吃驚。
帰ってきて、久しぶりに犬を連れて散歩に出たら、近くの公園で、ジョーとパンツの中年婦人たちがテニスをしていた。子供らがユニホームを著て野球をし、下腹(したはら)の出た中年男がよたよたジョギングをしていた。プールからは水音と少年少女の甲高(かんだか)い叫(さよ)び聲がする。そういう見慣(みな)れた光景が私にはひどくなじみない異様なものに見え、沿う見えたということに私は驚いた。なぜこんななんでもない眺めに驚いたのかといぶかった。しばらく考えて、それらの営(いとな)みが生存の必要と直接なんの関係もない行為(こうい)であることに自分が驚(おどろ)いたのがわかった。
在我的眼里,作為旅行中所見到的最日常的東西,印度少年的身影深深銘刻在我的心里。穿著骯臟的背心和褲衩在烈日下推大板車的少年,在茶館里時而收集時而洗刷客人的杯子的少年,在小小的售貨車后面站柜臺的姐弟三人,與那樣為了生存的必要而直接聯(lián)系在一起的營生相比,我們這里所有的毫無閑暇真是沒有必要,我寧可將它當作異樣的事情看待。在印度,無論是大人還是小孩,全部的營生都與直接生存的必要聯(lián)系在一起,重新注意到這樣的事情,我對日本在和平中富裕起來的生活感嘆不已。與此相比,確實暴露出印度的貧困人口是在“低水平生存”中。然而另一方面,慢跑中的中年男子和少男少女也在這個國家的軌道上奔跑著,狹窄的確定了的生存方式也是不得己而為之,相對而言,那里生存的多樣性在不知不覺中未被采納。而生存的直接性呢,那里再少也存在著。
私の目にはまだ、旅行中ごく日常的なものとして見ていたインドの少年らの姿が焼きついていたのであった。汚(よご)れきったランニングをパンツ姿で炎天(えんてん)下荷車(にぐるま)の後押(あとお)しをしていた少年や、茶店で客のコップを集(あつ)めたり洗ったりしていた少年、姉弟(してい)三人で小さな屋臺の店番(みせばん)をしていた者たち、それた生存の必要とじかに結(jié)(むす)びついた営(いとな)みに比べ、ここにある閑暇(かんか)ないし無用性が、私にむしろ異様なものに見えたのであった。インドでは大人でも子供でもすべての営みが直接生存(ちょくせつせいせいぞう)の必要と結(jié)(むす)びついていたことに改(あらた)めて気づき、私は日本は平和で豊(ゆた)かなんだなあと感嘆(かんたん)した。これに比べたら、確かにインドは貧しいし人々は「低い生存」にじかにさらされている。が、その一方では、ジョキングの中年男も少年少女(しょうねんしょうじょ)もこの國ではレールの上を走るような狹(せま)い決まった生き方をやむなくされているのに対し、あっちの生のほうがいかにも多様性だとも思わずにいられない。少なくとも生の直接性があそこにはあった、と。